なりそこない

正常にも異常にも、幸せにも不幸せにもなりそこなった存在

≪物語(ロマン)≫、唄う

 小説が、書けなくなった。

 

 大学生になって文藝部に所属することになり、第一回目の原稿提出を済ませた。今は夏休み。秋の学祭号に向けての執筆期間である。締め切りは九月末。大学生の夏休みだ。時間はたっぷりあるはず……なのだが、そもそも何を書いていいのかぴんとこない。困った。

 ここ数年間、書きたいネタは大量に浮かぶが時間がない、と嘆き続けていたはずだった。しかしいざ時間ができてみるとこのザマである。情けない。いくつかネタは浮かんでいるものの、冒頭、あるいは細かい設定だけが浮かんで話の展開も何も見えてこない。このまま書いてまともな物語ができるはずがない。

 なぜ書けなくなった、と感じるのだろう。第一に、これまでは完結した物語を作っていなかったため、ちょっとした場面だけを書いて執筆している気になっていたのではないか、という仮説が考えられる。これは的を射た評価であるように思う。私はそもそも小説を書いてなどいなかった。そこで初めて小説を書こうとした現在、書けないという事実に直面するのも当然である。こういうことだろうか。

 ただ、それだけでないだろう、と私は思う。きっと私は幸せになってしまった、書くことに託すべき激情を見失ってしまった。ずっと憧れていた一人暮らしをはじめたことで、日常は息の詰めるものではなくなった。お金を稼ぐ手段も得た。私は自由になった、少なくともこれまでに比べると。そうして私の絶望は淡く薄く、掠れたのだ。

 小説の元になるものが激情でしかないならば、私はきっと上手に物語を描けるようにはならない。別に書く必要はないけれど、もしも書くことを評価されたいと思うならば、気分を紙上に書き殴るだけではいけない。

 

 それでは、私は本当に小説を書く存在なのだろうか?

 

 さあね