なりそこない

正常にも異常にも、幸せにも不幸せにもなりそこなった存在

優しい名無しさん:「人生は死ぬまでの暇つぶし」

 数年前に某巨大掲示板で見かけた書き込みが頭を離れない。いや、正確には原文と違った形で記憶しているのかもしれないが、とにかくこの文言は自分の最根底の行動指針となっている。

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

 

なんと消極的で刹那的な考え方だろうとは思うが、生きているということに意味や目的を必要としないその態度に清々しさをおぼえた。この言葉を見出したのは、だから気が向いたときに自殺できる、という文脈だ。さすがにそれを肯うことはできないが、それ以来「人はいずれ死ぬのだ」という考えに伴う漠然とした恐怖は消えた。

 そんな考えを自分のなかに取り込んでから、将来のために何かをする、という意識がかなり薄い状態で生活している。先日まで三年間を塗りつぶすために高校生をやっていたし、大学受験は高校生である資格を保つためにやった。今日を塗りつぶすために私は大学生をやっているし、卒業してしまったあとはそのときでまた暇つぶしの方法を考えればよいだろう。

 そこに目的はない。意味すらない。生をただ、一連の事象にまで還元して捉える視線さえ導いてくれるような自己の存在に対する無関心。それが人生に対する最善の解だとは思わない。私にとっての最適解でさえないかもしれない。しかし、生には意味があるはずだという強迫観念を氷解させ、我々を自由にしてくれる発想の一つであることはきっと間違いない。

 

 元の書き込みをした方は、まだどこかで死なずにいるのだろうか。