なりそこない

正常にも異常にも、幸せにも不幸せにもなりそこなった存在

とてもとても眠たい午後に

 昨日は話題の『シン・ゴジラ』を観にいった。正確には、あてもなく映画を観にいったらちょうどいい時間帯にやっていたものがゴジラだったという話だが。私はこれまでゴジラの映画を観たことがなかった。ゴジラデビューである。面白かった。

 作中でゴジラが「世代交代を経ない進化」という謎すぎる能力を発揮していた。それはどうみても変態ではないか。しかしゴジラの体内には放射線が満ち満ちているらしいし、人間の8倍のゲノムサイズをもつとか。それならば遺伝子が突然変異を起こすスピードはおそらくかなり速い。

 

・ケモパシーなどにより、ある変異細胞と同じ変異を全身の細胞に起こさせられる

・数分のうちに、体を構成する全細胞が単一の変異細胞の娘細胞と置き換わる

 

のいずれかが起こるなら、変態ではなく進化となんとか称せるかもしれない。ただし、対象となる変異細胞をどうやって選択しているのかは不明である。結論を言うとゴジラは常軌を逸した存在なのだ。そしてそんなことは観る前からわかっている。

 

 図ったわけではなかったが翌日、つまり今日は8月6日。ヒロシマ。それからナガサキ、冷戦、原発、福島、たぶん他にもたくさん。。原子力のエネルギーは、正直なんだかよくわからない存在だ。原子物理学を一生懸命勉強したところで、歴史学や軍事論やエネルギー学やなんやらを一生懸命勉強したところで、それを真に理解することはできないような気がする、少なくとも私には。

 化石燃料をもくもくと燃やしてCO₂の温室でゆっくりと死んでいくほうが、暴走した原子力に存在ごと消されるよりも、まだ受け入れられるかなと思った。

 炭化水素を燃焼させたら二酸化炭素が発生する、というのは因果関係がはっきりしている。それが嫌なら燃やさなければいい。シンプルだ(もちろん、現実には複雑に要因が絡み合っているからこうはいかないかもしれないけれど)

 原子力の話を聞くと自分の能力を超えた力を手にした者がついには己を滅ぼすという、使い古された筋書きを思い出す。そいつはたいてい愚か者扱いされて笑われる役だ。笑われるのは(´・д・`)ヤダ、なのである。

 

 それでも科学は、前に進もうとしなくちゃならないと思うのだ。だからこの辺の話題には、非常にアンビバレントな立ち位置におります。原子力に限らず、遺伝子倫理なんかもね。絶対賛成/反対のどちらにもなれない。まあ、今はそれでいい。やっと学び始めたばかりなのだから、偏らないでじっくり向き合ったらいい。せっかくのモラトリアムなのだ。焦っても仕方がないだろう?