なりそこない

正常にも異常にも、幸せにも不幸せにもなりそこなった存在

はっぴぃ・ばーすでぃ

 お誕生日おめでとう、のあとに続ける言葉をいつも探しあぐねる。今年もよろしく、正月かよ。よい一年を、ニューイヤーかよ……。いつも迷った挙句、いつもありがとう、など唐突だがまあ無難な気がする感謝の辞などをとりあえず述べておく。

 大半の場合はこれで済ませてしまうのだが、さらに親しい相手になるともう少し気の利いた言葉を送りたくもなる。これがまた難しい。

 「あなたが生まれてくれたから、私たちは出会えたんだね」

 これは甘ったるさの極みたる恋人間の科白であるが、個人的にこのような考え方はあまり好きではない。そもそも私たちは今も、生まれてこなかった誰かと出会い損ね続けているのである。「あなた」がいなければ別の誰かのことを同じように(もしくはそれ以上に)大切に思っているかもしれないし、特に色恋沙汰はなくとも平和な日常を楽しんでいるかもしれない。

 生まれることは単なる現象であって、愛するとか憎むとかいうことはその結果だと思うのだ。そこに存在している現象たちが、ビリヤードの球みたいに互いに影響を与えあってごろごろと運動するような。そんな世界から、存在していない存在に焦がれ続けていたら身が持たない。だから私たちは、実際に出会った人だけを絶対だと感じるのだ。

 お誕生日おめでとう、のあとに続ける言葉は、やっぱり難しい。散々悩んでから送信の欄をタップする。

 

お誕生日おめでとう。大好きだよ。